2007年 09月 05日
再び対馬へ |
昨日は、担当の平野とともに飛行機に乗り、対馬へ再び行ってきました。
今回は、保健所と建築課への事前協議と調剤薬局の敷地確認が目的でした。
帰りの飛行機の時間を最終便にして、豊玉町にある渡辺豊和が設計した
文化ホールを見てきました。
渡辺豊和は、秋田県の角館出身の建築家で大学は、柳瀬さんの先輩にあたる
福井大学の建築科です。
1970年代に住宅を中心に活躍した野武士の世代の一人です。
その世代として、安藤忠雄、伊東豊雄、石山修武、毛綱毅コウ、室伏次郎、
長谷川逸子などそうそうたるメンバーの中のお一人なんですが、
例によって、私のアトリエのスタッフは、誰もその名前を知っていません。
わたしたちが行なっている現代住宅の設計において過去の建築家の方たちが
どのような格闘を行なってきたのか、認識することがとても大事なことなのですが、
大学では十分学びきれないまま現状に到ってしまっています。
きのうの続きになりますが、自分の興味のある建築家以外まったく知らない
という状況はまったく一緒です。
住宅が好きで設計を行なうのであるならば、歴史を学び俯瞰できる視野をもつことが
必要です。せめて戦後住宅の流れとそれに関わった建築家の名前ぐらいは覚えて
欲しいものです。
今回は、保健所と建築課への事前協議と調剤薬局の敷地確認が目的でした。
帰りの飛行機の時間を最終便にして、豊玉町にある渡辺豊和が設計した
文化ホールを見てきました。
渡辺豊和は、秋田県の角館出身の建築家で大学は、柳瀬さんの先輩にあたる
福井大学の建築科です。
1970年代に住宅を中心に活躍した野武士の世代の一人です。
その世代として、安藤忠雄、伊東豊雄、石山修武、毛綱毅コウ、室伏次郎、
長谷川逸子などそうそうたるメンバーの中のお一人なんですが、
例によって、私のアトリエのスタッフは、誰もその名前を知っていません。
わたしたちが行なっている現代住宅の設計において過去の建築家の方たちが
どのような格闘を行なってきたのか、認識することがとても大事なことなのですが、
大学では十分学びきれないまま現状に到ってしまっています。
きのうの続きになりますが、自分の興味のある建築家以外まったく知らない
という状況はまったく一緒です。
住宅が好きで設計を行なうのであるならば、歴史を学び俯瞰できる視野をもつことが
必要です。せめて戦後住宅の流れとそれに関わった建築家の名前ぐらいは覚えて
欲しいものです。
by oishiatelier
| 2007-09-05 21:04