2014年 08月 22日
槇文彦氏による論評の紹介 |
今月のJIA MAGAZINE (日本建築家協会による雑誌)に寄稿された
新国立競技場修正案に対する槇文彦氏による論評を読み
もうかなりご高齢になられた槇さんの
洒脱な感性の一端を文章を通し見た思いになりましたので一部をご紹介。
コンペ当選時のザハ・ハディド案と5.29案の鳥瞰図を見た時、
その差異をどう表現したらいいだろうか。
私は、原案は木のカウンターにポンとおかれたイカの握りに見立てたい。
切り身は長く両端もカウンターまで伸びている。
握りにふくらみを与えているシャリの部分はあまり見えていない。
(コンペ当選時原案)
それでは5.29案はどんなイメージを与えるのであろうか。
それはパンケーキの上にのったイカの刺身、
ただしその上部だけが握りのそれと何となく似ている。
換言すれば「らしい」デザインなのだ。
そこには握りの一体感はもはやない。
また、長い両端やふくらみにに刻まれていた躍動感も消失してしまっている。
審査委員会がそれ故この案を選んだという日本人を元気付けるという
ダイナミズムはもちろんない。
(5.29案)
しかしよく考えてみると、パンケーキはこの場所にあの巨大な施設を要求したプログラムが
避難時の観衆の安全を考慮した時、解決のオプションのひとつであったことは
詳細に避難計画を分析するとよくわかるのだ。
恐らく他の応募案のほとんどが避難計画に現実のものとして直面した時、
パンケーキを選ばざるを得なかったのではないかと思う。
我々がコンペ案の時から指摘してきた安全性は、現実のデザインではこのような結果を
もたらすのではないか。
それではもう1箇所、審査委員会の言葉を借りれば、
デザインに躍動感を与えていた部分は鮨でいえば「どて」のところ、
原案では凄まじくガラスと金属の紐の群れが交錯する部分である。
それは5.29案では跡形もなくなり、公表された平面図を見ると、
競技場を覆う周縁はごく普通の避難通路を含むサービスゾーンにあてられ、
特に道路に接する部分はエントランスと博物館を除けば
コンクリートの壁面が延々と続く風景を提供している。
この施設がさまざまなイベントのためにオープンするのは50日であるから、
年間300日は沈黙の土木構築物なのだ。
高速道路の脚部はまだ向う側が透けて見えるのが救いだが、
ここにはそれすらない。
何故こんなことになってしまったのだろうか。
東京オリンピックが来ることが決定されると、それまでコンペの最優秀案に選ばれた
ザハ案の検討が本格的に開始され、その結果原案のままでは総工費が3000億円に
達することが昨年10月に判明、原案の総床面積を20%カットし、
1か月後には1700億円近くまで削減されたことを公表されている。
当然1か月で当初の予算額と同じ1300億円相当を減額するという荒療治は、
その数字に若干の信憑性は欠くとしても間違いなく、
これはザハチームではなく東京の日本チームの主導的参加によって
なされたことに違いない。
何故ならば、形態、構造、設備各種システムの変更は建築コストと深く関係しているからである。
先に述べた避難計画についても同様である。
その結果、各階平面図からもよくわかるように観客席の外周を取り巻く道路、サポート施設
は誰もが考え得るごく平凡なレイアウトとなり、コスト削減に寄与している。
恐らくコストを下げるという上からの至上命令で日本チームはコスト43%削減という
前代未聞の荒療治を必死にやってのけたのである。同情を禁じ得ない。
したがって原案のこの部分に表出されていた形態のダイナミズムはここでも
完全に消失し、東西対称のスタティックな表情に収斂している。
それではどこにザハの原案のスピリットが残されているのだろうか。
恐らく中央の2本の巨大なキールアーチはそのスケール、曲率は異なるものの、
らしく姿を保持している。
しかし5.29案は建物の周縁ビームとキールビームが2本の鋼材によって連結され、
原案より合理的な構造システムになっている。
東西面と比較して造形がより自由な南北面の形態操作によって、
ザハらしき姿がようやく整えられている。
恐らくここではロンドンチームと東京チームの緊密な連携プレーがあったことは
建築家であれば、容易に想像がつく。
しかしこれは一体誰の作品なのだろうか。
シーグラムハウスはミース、落水荘はライトというように我々の作品のすべては
一作品対一作家という関係で認識している。
それではこの案は日本チームが設計者、ザハが監修者ということになるだろうか。
しかし一見このプロジェクトのDNAは母親のザハから受け継いだものであり、
養父の日本チームのものでない。
日本チームは彼等の自主的なデザイン行為によるものではなく、
上から要請されたコスト削減とおもてなし行為を行った結果であろう。
この奇妙な協同作業は既にこの前のエッセイで、あるいはシンポジウムで指摘
してきたように不完全な監修者選定方式に由来する。
つまりコンペの要領にあった監修者の役割、特にその権限の範囲が曖昧のまま
現在進められている。
その2チームの協同作業によって育てられていく子供に明るい未来は見えてこない。
日本の文化によくある他人同士の話し合いにまかせている。
以上抜粋
このあと話は有蓋施設の問題点について具体的な項目を挙げながら語られ
オリンピック後の施設運営における年間維持費と営業収入による収支問題について触れ
オリンピック以降を見据えながらも世界に対し志のある建築としてのあり方について
提案されていました。
興味のある方はJIA MAGAZINE 306号をお読みください。
オリンピック競技場問題は 世代間によって捉え方が違うのではないでしょうか?
槇さんの世代、70~80代は日本が戦後、復興した姿を世界に対し大きくアピールする
必要性がありモニュメンタルなものが求められていたと思います。
そのなかにいたものとしての強い反省がありその結果、
現在の状況に対する批判があると思います。
僕たち50代の世代は代々木体育館オリンピックプール を通し
初めて天才建築家丹下健三を小学生の時に知り、憧れを持って観ていました。
バブル時の箱もの公共建築に対しては強い批判精神がありますが
国家的モニュメンタルなものに対し一概に批判的ではないと思っています。
先月のFAFの講演での質疑で比較的住宅的ではないものを作っているのは
どうしてかというのがあり、ボクは自分が育った原風景について話しましたが
後から考えてみるとボクらの世代は鉄腕アトムの世代で
(鉄腕アトムの本当に意味していることはわかっていませんでしたが)
時代の雰囲気も含め、未来に対し明るい希望があり
未来都市の絵をいつも描いていました。
その時の未来に対する憧れのようなものが育った時代の原風景としてあり
結果的に住宅に対してもその憧れを実現してみたい衝動的欲求があると思います。
(フランス映画の「ぼくの伯父さん」の伯父さんが住んでいる住宅は超モダンで
かっこいい!と思っていました。今の若い人たちはそんな憧れみたいなものが持てず
もっと何事も現実的に捉えているような気がします-----。
それはいい部分でもあるのですが---もう少し何かがあってもいいような------)
したがって、オリンピック競技場だけは現在沈滞している日本人の意識に
再び未来に対する夢を与え続けるようなものであっていいと思うのです。
(この問題はもともと建設場所に対する景観問題が発端であり、
オリンピック競技場のモニュメンタリズムについて根本的な論争を望みたいところです)
さて、世代間の捉え方の相違として20代、30代、40代はどうでしょうか?
きっとこの問題を取っ掛かりとして意識や感性の違いが浮き彫りになって
面白いのかもしれません。
新国立競技場修正案に対する槇文彦氏による論評を読み
もうかなりご高齢になられた槇さんの
洒脱な感性の一端を文章を通し見た思いになりましたので一部をご紹介。
コンペ当選時のザハ・ハディド案と5.29案の鳥瞰図を見た時、
その差異をどう表現したらいいだろうか。
私は、原案は木のカウンターにポンとおかれたイカの握りに見立てたい。
切り身は長く両端もカウンターまで伸びている。
握りにふくらみを与えているシャリの部分はあまり見えていない。
(コンペ当選時原案)
それでは5.29案はどんなイメージを与えるのであろうか。
それはパンケーキの上にのったイカの刺身、
ただしその上部だけが握りのそれと何となく似ている。
換言すれば「らしい」デザインなのだ。
そこには握りの一体感はもはやない。
また、長い両端やふくらみにに刻まれていた躍動感も消失してしまっている。
審査委員会がそれ故この案を選んだという日本人を元気付けるという
ダイナミズムはもちろんない。
(5.29案)
しかしよく考えてみると、パンケーキはこの場所にあの巨大な施設を要求したプログラムが
避難時の観衆の安全を考慮した時、解決のオプションのひとつであったことは
詳細に避難計画を分析するとよくわかるのだ。
恐らく他の応募案のほとんどが避難計画に現実のものとして直面した時、
パンケーキを選ばざるを得なかったのではないかと思う。
我々がコンペ案の時から指摘してきた安全性は、現実のデザインではこのような結果を
もたらすのではないか。
それではもう1箇所、審査委員会の言葉を借りれば、
デザインに躍動感を与えていた部分は鮨でいえば「どて」のところ、
原案では凄まじくガラスと金属の紐の群れが交錯する部分である。
それは5.29案では跡形もなくなり、公表された平面図を見ると、
競技場を覆う周縁はごく普通の避難通路を含むサービスゾーンにあてられ、
特に道路に接する部分はエントランスと博物館を除けば
コンクリートの壁面が延々と続く風景を提供している。
この施設がさまざまなイベントのためにオープンするのは50日であるから、
年間300日は沈黙の土木構築物なのだ。
高速道路の脚部はまだ向う側が透けて見えるのが救いだが、
ここにはそれすらない。
何故こんなことになってしまったのだろうか。
東京オリンピックが来ることが決定されると、それまでコンペの最優秀案に選ばれた
ザハ案の検討が本格的に開始され、その結果原案のままでは総工費が3000億円に
達することが昨年10月に判明、原案の総床面積を20%カットし、
1か月後には1700億円近くまで削減されたことを公表されている。
当然1か月で当初の予算額と同じ1300億円相当を減額するという荒療治は、
その数字に若干の信憑性は欠くとしても間違いなく、
これはザハチームではなく東京の日本チームの主導的参加によって
なされたことに違いない。
何故ならば、形態、構造、設備各種システムの変更は建築コストと深く関係しているからである。
先に述べた避難計画についても同様である。
その結果、各階平面図からもよくわかるように観客席の外周を取り巻く道路、サポート施設
は誰もが考え得るごく平凡なレイアウトとなり、コスト削減に寄与している。
恐らくコストを下げるという上からの至上命令で日本チームはコスト43%削減という
前代未聞の荒療治を必死にやってのけたのである。同情を禁じ得ない。
したがって原案のこの部分に表出されていた形態のダイナミズムはここでも
完全に消失し、東西対称のスタティックな表情に収斂している。
それではどこにザハの原案のスピリットが残されているのだろうか。
恐らく中央の2本の巨大なキールアーチはそのスケール、曲率は異なるものの、
らしく姿を保持している。
しかし5.29案は建物の周縁ビームとキールビームが2本の鋼材によって連結され、
原案より合理的な構造システムになっている。
東西面と比較して造形がより自由な南北面の形態操作によって、
ザハらしき姿がようやく整えられている。
恐らくここではロンドンチームと東京チームの緊密な連携プレーがあったことは
建築家であれば、容易に想像がつく。
しかしこれは一体誰の作品なのだろうか。
シーグラムハウスはミース、落水荘はライトというように我々の作品のすべては
一作品対一作家という関係で認識している。
それではこの案は日本チームが設計者、ザハが監修者ということになるだろうか。
しかし一見このプロジェクトのDNAは母親のザハから受け継いだものであり、
養父の日本チームのものでない。
日本チームは彼等の自主的なデザイン行為によるものではなく、
上から要請されたコスト削減とおもてなし行為を行った結果であろう。
この奇妙な協同作業は既にこの前のエッセイで、あるいはシンポジウムで指摘
してきたように不完全な監修者選定方式に由来する。
つまりコンペの要領にあった監修者の役割、特にその権限の範囲が曖昧のまま
現在進められている。
その2チームの協同作業によって育てられていく子供に明るい未来は見えてこない。
日本の文化によくある他人同士の話し合いにまかせている。
以上抜粋
このあと話は有蓋施設の問題点について具体的な項目を挙げながら語られ
オリンピック後の施設運営における年間維持費と営業収入による収支問題について触れ
オリンピック以降を見据えながらも世界に対し志のある建築としてのあり方について
提案されていました。
興味のある方はJIA MAGAZINE 306号をお読みください。
オリンピック競技場問題は 世代間によって捉え方が違うのではないでしょうか?
槇さんの世代、70~80代は日本が戦後、復興した姿を世界に対し大きくアピールする
必要性がありモニュメンタルなものが求められていたと思います。
そのなかにいたものとしての強い反省がありその結果、
現在の状況に対する批判があると思います。
僕たち50代の世代は代々木体育館オリンピックプール を通し
初めて天才建築家丹下健三を小学生の時に知り、憧れを持って観ていました。
バブル時の箱もの公共建築に対しては強い批判精神がありますが
国家的モニュメンタルなものに対し一概に批判的ではないと思っています。
先月のFAFの講演での質疑で比較的住宅的ではないものを作っているのは
どうしてかというのがあり、ボクは自分が育った原風景について話しましたが
後から考えてみるとボクらの世代は鉄腕アトムの世代で
(鉄腕アトムの本当に意味していることはわかっていませんでしたが)
時代の雰囲気も含め、未来に対し明るい希望があり
未来都市の絵をいつも描いていました。
その時の未来に対する憧れのようなものが育った時代の原風景としてあり
結果的に住宅に対してもその憧れを実現してみたい衝動的欲求があると思います。
(フランス映画の「ぼくの伯父さん」の伯父さんが住んでいる住宅は超モダンで
かっこいい!と思っていました。今の若い人たちはそんな憧れみたいなものが持てず
もっと何事も現実的に捉えているような気がします-----。
それはいい部分でもあるのですが---もう少し何かがあってもいいような------)
したがって、オリンピック競技場だけは現在沈滞している日本人の意識に
再び未来に対する夢を与え続けるようなものであっていいと思うのです。
(この問題はもともと建設場所に対する景観問題が発端であり、
オリンピック競技場のモニュメンタリズムについて根本的な論争を望みたいところです)
さて、世代間の捉え方の相違として20代、30代、40代はどうでしょうか?
きっとこの問題を取っ掛かりとして意識や感性の違いが浮き彫りになって
面白いのかもしれません。
by oishiatelier
| 2014-08-22 22:02